「サービスマン35年間を振り返る」・・新カテゴリーです。
このコーナーでは、すべてが昔の話になると思います。舞台は、ほとんどが北海道です。
あらかじめお断りしておきます。昭和43年頃で、私は22歳。
あれは一体なんだったのかと今でも思い出します。会社の札幌営業所に入社して、10日も経たないうちに、いきなり函館にコンピュータ修理の出張命令です。函館市役所のコンピュータに接続されているプリンターを修理せよと言うのです。
上司の命令ですから、「出来ません」とは言えないのです。周りの雰囲気がそうだったのです。「まず、いいから行って来い!」これが、この拠点の”言葉”みたいです。じゃ出来ないときはどうするのか?
まず、機材が必要なら、宅配便で送るのです。でも、私のように最初から何も分からない者がギブアップしたときはどうするのか。私はそんな顔をしたようでした。
上司は、笑いながら「ダメだったら俺が行くからな」というのです。ははあ、出来る先輩が後から応援に行くんだな、そういうシステムなんだと、そのときは勝手に思っていましたが、後になって、すべて自分で必ず修理する決まりだと分かりました。現在なら拒否する事が当たり前の場面ですね。
ちょっとその前に当時のプリンターの説明をしたいと思います。当時のプリンターの多くは、一人では持ち上がらないほど重たいのです。金属の塊です。今の若い人達には説明しにくいのですが、昔、欧米で盛んに使われた、卓上タイプライターなら分かると思います。それを2倍くらいに大きくしたものだと想像してください。そういえば、プリンタというよりは、「電動タイプライター」と呼んでいたと思います。ここでもプリンタと呼ばず、タイプライターにします。タイプメーカーはほとんどがヨーロッパ製で、トライアンフ(ドイツ製)、アドラー(ドイツ製)、ヘルメス(スイス製)等が主流でしたが、その函館は日本製(O社製)のものでした。話を元に戻しますが、タイプライターには、キャリッジという部分がありました。これは印字される用紙をゴムローラーに巻きつけおくところで、その用紙向かって、活字(アルファベット文字)が勢い良くたたきつけられます。それは、タイプバーと呼ばれ、活字と一体になったくし状の金属バーが、一文字印字すたびに「パシーン」と鋭い音と共にキャリッジにたたきつけられます。するとキャリッジが左方向に一文字分ずれます。タイプバーと用紙の間には、インクリボンがあります。これはカーボンの役目です。こうして右端まで行き、1行目の印字が終わると、キャリッジは「チーン」大きなベルを鳴らし、勝手に右端までスライドしてガチャンと止まります。オペレーターはこの繰り返しを1日行うわけです。ですから当時、多くの会社では騒音を遮断するために、必ず「電算室」と言う部屋が有り、部屋ないところでも、音を遮断する「つい立」などがありました。ところで肝心のタイプライター修理はどうなったのかと言うと、まず故障内容はキャリッジが移動しなくなったのです。初めての修理ということでかなり緊張して電算室に入りましたが、職員の方々が大変歓迎してくれたので、逆に驚いてしまいました。はたして、タイプライターはどうなったでしょう?ぜんぜん直りません。分かりません。上司に電話しました。「修理できません」と。上司は「そうかダメか、じゃ明日俺が行くから」といわれ、そういうわけでと、職員さんにお詫びしました。「いいよ、いいよ大変でしたね」と、ねぎらいを受け恐縮しました。次の日上司が到着、職員さん達と上司は旧知の仲らしく笑顔で懇談しながら、あっという間にタイプライターを修理してしまいました。そこで私は思いました。最初から上司が来れば無駄な事をしなくても良かったのではないかと。私をテストしてみたのか?なんのテストだったのか今でも分かりません。