Archive for the 'サービスマン35年間を振り返る' Category

フィールドサービス、道北地区担当時代・・20歳代後半、昭和45年頃

2月北海道オホーツク沿岸を計算機の点検で巡回していたときの事です。1件のユーザー先から外に出ると、もう外は真っ暗。旅館を探そうと思い国道を行ったりきたり、なかなか見つかりません。ドライブインが1軒あるだけで、人影もなく、心細さと不安がこみ上げてきます。さっきのドライブインの看板には、「宿泊も可能です」と書いてあったを思い出し、いやいやながら遂に戸をたたきました。女主人がいて、寝室に案内されてびっくり。広い部屋に汚いベッドがあるだけ。なんでも昔、お子さんが使っていたとか。次にお風呂を案内されましたが、またびっくり。湯船のお湯が茶色に濁って、まるで”ミルクコーヒー”のようだったからです。足だけ洗って湯船には入らずベッドに入りました。自分は今夜眠れるのか・・「あっそうだ!」と飛び起きて女主人に明日の”朝食”をキャンセルしました。このままでは何を食べさせられるのか恐ろしかったからです。その晩はやはりぐっすりとは眠れず。朝6時にドライブインを飛び出しました。お腹がすいてたまりません。今のようにコンビニなんかありません。ふと、家々の間から海岸が見えました。流氷が見えるではありませんか。すぐに車から降りて波打ち際まで行きました。生まれて初めて見る”流氷”です。波の音は一切しません。静まり返っているのです。足元から水平線のかなたまで、全部ギザギザした氷が折り重なっているのです。その圧巻に私はただ呆然とするだけでした。「言葉を失う」とはこういう事なんだと思いました。昨夜の事はすっかりリセットされていました、感動に後ろ髪を引かれるおもいで帰途へつきました。

吹雪で大型トラック遭難、仰向けで転倒しかもそれは道路の反対側に落ちる

やはり、30年以上前のお話

3月のある日、北海道は珍しい冬の嵐になった。猛烈な吹雪のため
多くのトラック・大型トレーラーは道路の脇に転落し、あまり見たこと
の無い、お腹を空に向けていました。
その光景を目にしたのは、札幌を出て旭川に一泊し、稚内に向けて
出発した早朝だったと記憶している。昨夜から夜中にかけて転落
事故に遭ったトラック・大型トレーラー達だろう。名寄市を過ぎた頃から
目的地まで、6、7台の横転したトラックを見たが、あまりの多さに恐怖心
が襲ってきた事は言うまでもありません。
私は、何台かの仰向けになったトラックの様子を見に道路わきに止めて
みたが不思議な事に、車両が大破している様子は見られないのです。
雪がショックを緩和してくれたのでしょうか?
私は、1台だけ本当にどうなっているかを見たくて車を止めて国道した
の仰向けになった大型トレーラーを見下ろしました。
するとある事に気づきました。とても信じられない事ですが、道路下に
落ちたトレーラーは全て100%進行方向にに向かって反対側の道路下
に落ちていたという事です。しかも運転席は進行方向に向いています。
私は、現場を離れて車中で「なぜ?」と考えながら目的地に向かって
走り続けました。

後にわかった事ですが、ドライバーの心理として、視界ゼロmになると、
左側走行でも、左の道路下に落ちないようにどちらかというと道路の
真ん中近くを走り出して、そのうちにゆるい左カーブに気が付いても
急ハンドルで戻す事は困難なため、右に極端に寄りすぎて、しかも、
エンジンブレーキをかけながらもゆっくりと右道路下に落ちて行くのだ
そうです。

ワイパーを使わずに吹雪の北海道を突っ走る

入社後に迎えた初めての冬、私はすでに普通免許を取得していたので、会社ではすぐに道内を車で出張に出るようになりました。
真冬の2月、ある先輩とたまたま同行する事になったのです。帰り道だったと記憶しています。夜になり大雪が降ってきました。
私は、当然ながら車のヒーターをウィンドウの方へ切り替え、更にワイパーを作動させました。最初は良かったのですが、次第にワイパーに氷がくっついて、左右に動くだけで、視界がよく見えなくなってきました。
すると先輩は予想していたみたいで、「俺たちは、こんな走り方はしないんだよ」と言いました。車を止めてといわれ、「さあ準備するぞ」と、まずエンジンを切り、外に出ました。ひどい吹雪です。どうなるんだろうと思いました。
先輩はまず、凍りで太くなってしまったワイパーをきれいにしました。次にフロントガラスに付着している氷のかけらをすべて取り除きました。「そろそろ冷えたかな?」。えっ何がですか?先輩はエンジンが止まってフロントガラが、外気温と同じになるまで待っていたのです。次は車内に入り、ジャンパーは着ているようにと、それからタオルを細長くたたんで”温風”の出る穴をふさぎました。次はヒーターの温度を出来るだけ下げるというのです。だからジャンパーを着よと言ったんだと分かりました。
温風は更にガラス側ではなく、足元へ当たるように切り換えました。「よし、言ってみよう」と掛け声が、でも準備中にフロントガラスに雪がいっぱい積もりスタートできません。「いいからスタートだ」とまるで目隠し運転でスタート、と、突然ガラスの雪がフワーッと左右にカーテンが開くように飛び散っていきました。
凄い、吹雪に勝ってるな!と今度は運転にこの裏技を使っての真冬の走行が楽しく思えました。

入社2週間後で、函館出張

「サービスマン35年間を振り返る」・・新カテゴリーです。
このコーナーでは、すべてが昔の話になると思います。舞台は、ほとんどが北海道です。
あらかじめお断りしておきます。昭和43年頃で、私は22歳。

あれは一体なんだったのかと今でも思い出します。会社の札幌営業所に入社して、10日も経たないうちに、いきなり函館にコンピュータ修理の出張命令です。函館市役所のコンピュータに接続されているプリンターを修理せよと言うのです。
上司の命令ですから、「出来ません」とは言えないのです。周りの雰囲気がそうだったのです。「まず、いいから行って来い!」これが、この拠点の”言葉”みたいです。じゃ出来ないときはどうするのか?
まず、機材が必要なら、宅配便で送るのです。でも、私のように最初から何も分からない者がギブアップしたときはどうするのか。私はそんな顔をしたようでした。

上司は、笑いながら「ダメだったら俺が行くからな」というのです。ははあ、出来る先輩が後から応援に行くんだな、そういうシステムなんだと、そのときは勝手に思っていましたが、後になって、すべて自分で必ず修理する決まりだと分かりました。現在なら拒否する事が当たり前の場面ですね。

ちょっとその前に当時のプリンターの説明をしたいと思います。当時のプリンターの多くは、一人では持ち上がらないほど重たいのです。金属の塊です。今の若い人達には説明しにくいのですが、昔、欧米で盛んに使われた、卓上タイプライターなら分かると思います。それを2倍くらいに大きくしたものだと想像してください。そういえば、プリンタというよりは、「電動タイプライター」と呼んでいたと思います。ここでもプリンタと呼ばず、タイプライターにします。タイプメーカーはほとんどがヨーロッパ製で、トライアンフ(ドイツ製)、アドラー(ドイツ製)、ヘルメス(スイス製)等が主流でしたが、その函館は日本製(O社製)のものでした。話を元に戻しますが、タイプライターには、キャリッジという部分がありました。これは印字される用紙をゴムローラーに巻きつけおくところで、その用紙向かって、活字(アルファベット文字)が勢い良くたたきつけられます。それは、タイプバーと呼ばれ、活字と一体になったくし状の金属バーが、一文字印字すたびに「パシーン」と鋭い音と共にキャリッジにたたきつけられます。するとキャリッジが左方向に一文字分ずれます。タイプバーと用紙の間には、インクリボンがあります。これはカーボンの役目です。こうして右端まで行き、1行目の印字が終わると、キャリッジは「チーン」大きなベルを鳴らし、勝手に右端までスライドしてガチャンと止まります。オペレーターはこの繰り返しを1日行うわけです。ですから当時、多くの会社では騒音を遮断するために、必ず「電算室」と言う部屋が有り、部屋ないところでも、音を遮断する「つい立」などがありました。ところで肝心のタイプライター修理はどうなったのかと言うと、まず故障内容はキャリッジが移動しなくなったのです。初めての修理ということでかなり緊張して電算室に入りましたが、職員の方々が大変歓迎してくれたので、逆に驚いてしまいました。はたして、タイプライターはどうなったでしょう?ぜんぜん直りません。分かりません。上司に電話しました。「修理できません」と。上司は「そうかダメか、じゃ明日俺が行くから」といわれ、そういうわけでと、職員さんにお詫びしました。「いいよ、いいよ大変でしたね」と、ねぎらいを受け恐縮しました。次の日上司が到着、職員さん達と上司は旧知の仲らしく笑顔で懇談しながら、あっという間にタイプライターを修理してしまいました。そこで私は思いました。最初から上司が来れば無駄な事をしなくても良かったのではないかと。私をテストしてみたのか?なんのテストだったのか今でも分かりません。